横浜地方裁判所 昭和32年(行)11号 判決 1960年11月19日
原告 荒井一郎 外八名
被告 横浜市・横浜市教育委員会
主文
原告荒井一郎の被告横浜市教育委員会に対する訴は之を却下する。
原告等の請求は之を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
(原告等の主張)
原告等訴訟代理人は、「原告佐々木修二、同加藤宗治、同酒巻保輔、同新倉昭二、同大沼清、同細野暁一、同山本康男、同渡辺茂は、被告横浜市の職員としての身分を有することを確認する。原告荒井一郎は被告横浜市教育委員会の職員としての身分を有することを確認する。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、
一、原告佐々木修二、同加藤宗治、同酒巻保輔、同新倉昭二、同大沼清、同細野暁一、同山本康男、同渡辺茂(以下原告佐々木修二等と略称する。)はいずれも被告横浜市の職員として勤務していたところ、昭和二十四年八月二十六日付で被告横浜市より横浜市職員分限規則第四条第一項第六号(事務事業の都合により必要であるとき)によりその職を免ずる旨の処分を受けた。又原告荒井一郎は被告横浜市教育委員会の職員として勤務していたところ、昭和二十四年八月三十日付で被告横浜市教育委員会より横浜市教育委員会職員分限規則(横浜市職員分限規則を準用)第四条第一項第六号(前同内容)によりその職を免ずる旨の処分を受けた。(以下原告等に対する免職処分を本件免職処分と略称する。)
二、しかしながら本件免職処分は次の様な重大且つ明白な瑕疵があるから無効である。
(一) 被告等は原告等を前記の如く「横浜市職員分限規則」又はそれを準用した「横浜市教育委員会職員分限規則」にもとずいてそれぞれ免職処分に付したが、右「横浜市職員分限規則」はその制定にあたつては市議会の議決を経べきであるのにもかゝわらず、市長の独断で制定されたものであるから、かゝる規則は憲法及び地方自治法に違反し、無効であり、従つてかゝる無効の規則にもとずいてなされた本件免職処分も又無効である。即ち、
被告横浜市の当時の市長石河京市は昭和二十四年八月十五日付で「横浜市職員分限規則」を制定公布したが、右規則には次の様な規定がある。
第四条 次の各号に該当するときはその職を免ずることがある。
一、身体又は精神の故障により職務を執るに堪えないとき。
二、退職を願い出たとき。
三、傷害、疾病を除き私事の故障によつて引続き六十日以上の執務をしないとき。
四、職務の内外を問わず、市職員の体面を汚し、又は信用を失うような行為があつたとき。
五、職務上の義務に違反し、又は職務を怠つたとき。
六、事務事業の都合により必要があるとき。
前項第四号及び第五号によつて免職しようとするときは横浜市吏員懲戒審査委員会の審査を経なければならない。
当時施行中の地方自治法第十五条には、「普通地方公共団体の長は、法令に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し、規則を制定することができる。」旨規定しているが、同法第百七十二条によれば普通地方公共団体の職員は普通地方公共団体の長がこれを任免するが、その定数は条例で定めることを要し、又職員の任免その他の身分取扱いに関しては別に普通地方公共団体の職員に関して規定する法律の定めるところによることを明確にしている。当時地方公務員法は未だ制定されていなかつたが、地方自治法附則第九条によれば「職員の分限及び服務等に関しては地方公務員法が制定される迄の間は、従前の規定に準じじ政令でこれを定める」旨規定されていた。しかしながら当時には右附則に基く政令もなかつた。
而して、前記地方自治法第百七十二条が職員の任免等は法律によつて定めるとした趣旨は、憲法第十五条、第十四条、第二十七条等の要請にもとずくものであり、全体の奉仕者である公務員が普通公共団体の長の恣意によりその身分を左右されるようなことがない様保障したものと解すべきである。従つて地方公務員法制定前にあつても、職員の任免等の規準を市長が独断で制定することは、憲法及び地方自治法の精神から許さるべきではなく、かゝる規準は市議会の議決を経た条例によつて定めるべきものである。
しかるに前記「横浜市職員分限規則」は市議会の議決を経ずして市長の独断で制定されたものであり、憲法及び地方自治法に違反するから無効というべく、この無効の規則及びこれを準用した「横浜市教育委員会職員分限規則」にもとずいてなされた本件免職処分も又当然無効である。
(二) 被告等は定員に関する条例で定められた定員を無視して、原告等を免職処分に付したものであり、右処分は憲法で保障された勤労の権利を奪うものであるから当然無効である。即ち被告横浜市に昭和二十三年十二月十五日制定にかゝる「横浜市職員の名称及び定員に関する条例」があり、その第五条には「職員の定員は毎年度予算の定めるところに依る」と規定されている。しかして昭和二十四年度の予算定員は昭和二十四年三月市議会の議決を経て定められており、昭和二十四年八月当時被告横浜市の職員は右予算定員の範囲内であつたにもかゝわらず、被告横浜市は事務事業の都合によるとの理由で原告佐々木修二等を含む三十名を各免職処分に付した。又被告横浜市教育委員会の事務局職員の定員は、昭和二十三年十二月十五日制定にかゝる横浜市条例第九十八号をもつて九十九人以内と定められており、昭和二十四年八月当時の実人員は右定員の範囲内であつたにもかゝわらず被告横浜市教育委員会は事務事業の都合によるとの理由で原告荒井一郎を免職処分に付した。
しかし市議会が定めた議員の定員に関する条例は、市又は教育委員会に法令上課せられた任務を運営遂行するための必要人員を定めたものであり、それ以下の人員では円滑な運営ができないことを定めたものであるから、市長又は教育委員会委員長が法令上市又は教育委員会に課せられた任務の運営遂行上職員の人員数を増減する必要を認めた場合においては、市議会にその定員数の改定を求めた上で、人員の増減をなすべきものであり、市長又は教育委員会委員長の恣意独断で事務事業の都合によるとして前記職員の定員に関する規定を無視して免職処分を行うことは市長又は教育委員会委員長の権限を超えるものである。
従つて、本件免職処分はいずれも原告等の憲法第二十七条で保障された勤労の権利を奪うものであり、当然無効である。
(三) 被告横浜市は原告佐々木修二等を前記「横浜市職員分限規則」により、又被告横浜市教育委員会は原告荒井一郎を前記「横浜市教育委員会職員分限規則」により、それぞれ免職処分に付したが、これらの規則はいずれも労働基準法にいう就業規則としての効力を有せず無効であり、かゝる無効の規則にもとずいてなされた本件免職処分も又当然無効である。即ち、
これらの規則は労働基準法第八十九条第一項第三号の「退職に関する事項」を定めたものであるから、その作成には同法第九十条第一項により労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合の意見も聴かねばならずかつ又同法第八十九条第一項本文により担当行政官庁である労働基準局に届け出で、かつ同法第百六条により労働者に周知させねばならない。
しかるに当時被告横浜市及び被告横浜市教育委員会等の職員の組織していた横浜市従業員労働組合の意見を聴くことなく前記規則を制定し、前記規則を担当行政官庁である横浜労働基準局に届出でなかつたのみならず、更に「横浜市職員分限規則」は昭和二十四年八月十五日付で横浜市報に掲載されているものゝ、右市報が印刷されたのは同月二十三日であり、原告佐々木修二等が被告横浜市より免職処分に付された同月二十六日当時には未だ被告横浜市の一般職員には周知されておらず、又「横浜市教育委員会職員分限規則」は昭和二十四年八月二十七日付で制定されたが、横浜市報にも掲載されず原告荒井一郎が被告横浜市教育委員会より免職処分に付された昭和二十四年八月三十日当時には未だ被告横浜市教育委員会の一般職員には周知されていなかつた。
従つて「横浜市職員分限規則」「横浜市教育委員会職員分限規則」共労働基準法に規定されている労働組合の意見の聴取義務、労働基準局えの届出義務、労働者(職員)えの周知徹底義務のいずれも欠いているものであり、就業規則としての効力を有さない無効なものである。
従つてかゝる無効の規定に基いてなされた本件免職処分も又当然無効である。
(四) 本件免職処分はその解雇と同時に解雇予告手当を支払わなかつたものであるから無効である。即ち、
労働基準法第二十条第一項によれば使用者が労働者を解雇しようとする場合は、少くとも三十日前にその予告をするか又は三十日分以上の平均賃銀(解雇予告手当)を支払わなければならない。しかして右解雇予告手当は解雇と同時に支払うべきものである。
ところが被告横浜市が原告佐々木修二等を免職処分に付したのは昭和二十四年八月二十六日であるが、その解雇予告手当を原告佐々木修二等に対して口頭で提供したのは同年九月七日以降にいたつてからであり、被告横浜市教育委員会が原告荒井一郎を免職処分に付したのは昭和二十四年八月三十日であるが、その解雇予告手当を同人に対し口頭で提供したのは同年九月十七日にいたつてからである。
従つていずれもその解雇予告手当を同時に支払い、又は提供することなく、解雇である免職処分をなしたものであるから労働基準法第二十条に違反し、当然無効である。
(五) 本件免職処分は不当労働行為であるから無効である。即ち、
昭和二十四年当時は、被告横浜市及び被告横浜市教育委員会の職員に対しては労働組合法が適用されており、原告等はいずれも横浜市従業員労働組合に所属していた。そしてその組合歴は次の通りであつた。
原告荒井一郎
昭和二十二年十二月より中央執行委員
同二十三年十月より同二十四年十月迄中央執行委員長
原告佐々木修二
昭和二十二年十二月より中央執行委員
同二十三年十月より同二十四年十月迄日本自治団体労働組合総連合(略称自治労連)の中央執行委員
原告加藤宗治
昭和二十三年一月より同二十四年十月迄中央執行委員で給与対策部長
原告酒巻保輔
昭和二十三年五月より同二十四年三月迄磯子支部長
同二十四年四月より同年十月迄中央執行委員で財政部長
原告新倉昭二
昭和二十三年十月より同二十四年十月迄建設支部常任委員
原告大沼清
昭和二十三年十月より同二十四年十月迄中支部書記長
原告細野暁一
昭和二十三年十月より同二十四年十月迄経済支部常任委員
原告山本康男
昭和二十三年十月より同二十四年十月迄建設支部委員
原告渡辺茂
昭和二十三年十月より同二十四年十月迄衛生支部委員
しかしてその間原告等は退職金制度の確立、繁忙手当の獲得、賃銀ベースの値上げ、生活補給金の獲得等の組合運動に参加した。しかるに本件免職処分は原告等のかゝる労働組合の正当な行為に参加した故になされたものである。
従つて労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であり、当然無効である。
(六) 本件免職処分は名目上は「横浜市職員分限規則」又は「横浜市教育委員会職員分限規則」の各第四条第一項第六号の「事務事業の都合により必要あるとき」を適用してなされたものであるが、実質は共産党及びその同調者を排除することを目的としてなされたものであるから、憲法第十四条に違反し、無効である。即ち、
昭和二十四年八月当時、各都道府県並びに市において、昭和二十四年五月二十四日付「地方公共団体の人員整理に関する件」と題する閣議決定にもとずく人員整理が行われていたが、右閣議決定はいわゆる経済九原則の要請に即応する行政機構の簡素化と人員整理に対応する地方自治行政の綜合的且つ能率的運営と地方財政の健全化を目的とする人員整理であることを強調しつゝも、これに便乗し、地方自治体より左翼思想の持主を排除せんとするものであり、地方自治庁の招集した地方自治体の文書課長会議等を通じ、これが実施を命じた結果、その被整理者の多くは当局者が日本共産党の党員又はその同調者と認定した者であつた。
しかして被告横浜市及び被告横浜市教育委員会においても、本件免職処分に際し、一度被免職者の予定名簿に記載された者が共産党員でも、その同調者でもないことが判明した結果免職処分を免れたり、被告横浜市の当時の市長石河京市が原告等と団体交渉の席上「追放」(当時はいわゆるレツド・パージを意味する言葉として用いられていたことは公知の事実である。)という言葉を使用していたものであり、原告等はいずれも共産党又はその同調者として当時被告等から注目されていたものであるから、本件免職処分は前記閣議決定に基く共産党員又はその同調者の排除を目的としたものであることは明らかである。
従つて、本件免職処分は憲法第十四条に保障する思想、信条による無差別取扱の原則を侵害するものであるから、当然無効である。
以上(一)乃至(六)のいずれの事由によつても、本件免職処分は当然無効であるから原告佐々木修二等は被告横浜市の職員としての身分を、原告荒井一郎は被告横浜市教育委員会の職員としての身分をそれぞれ有することの確認を求めると述べ、
(被告等の本案前の抗弁に対し)
本訴は抗告訴訟ではなく、行政事件訴訟特例法第一条にいう公法上の権利関係に関する訴訟にあたるいわゆる当事者訴訟であるから、本訴が抗告訴訟であることを前提とする被告等の主張は理由がないと述べ、
(被告等の本案についての抗弁に対する認否として)
原告等が被告等主張の如く、横浜地方裁判所に対し、被告等主張の如き訴を提起したこと、並びに神奈川県地方労働委員会に対し被告等主張の如き申立をなしたこと、同委員会が和解による解決を適当と認め、被告等主張の如き条項を示して和解を勧告し、その結果被告等主張の如き本件和解が成立し、これによつて同時に本件免職処分の取消がなされ原告等に対する依願退職処分が行われたこと、また原告等が被告等主張の如き日付の退職願を提出し、その日付でそれぞれ横浜市長及び被告横浜市教育委員会より退職辞令の交付を受けたことは認めるが、被告等主張の八月二十六日付で全員依願退職する旨の和解条項は本件免職処分を取消しこれを依願退職処分に改める旨の合意であるから、本件和解契約の成立によつて、本件免職処分の取消、依願退職の申出及び依願退職処分がなされたものであつて、本件和解契約とは別に本件免職処分取消の意思表示がなされたことはない。原告等は本件和解成立と同時に被告等主張の如き日附の退職願を提出したが、これは和解条項にいう依願退職の形式を整えるためであつて、和解条項と離れた独自の意義を有するものではないと述べ、
(再抗弁として)
本件和解契約は次の様な瑕疵又は事由によつて、無効又は遡及してその効力を失つたものであり、そのため本件和解契約の内容となつた本件免職処分の取消も、依願退職の申出も、依願退職処分も、いずれも無効又は遡及してその効力を失い、その結果本件免職処分は依然として有効であるか又はその効力を復活し存続していたことになる。
(一) 本件和解契約は前記第二項の(六)に記載の如く、被告等が原告等に対してなした憲法違反の本件免職処分の結果を維持存続せしめることを目的として行つたものであることは明らかである。しかしながら憲法に反する違法な事項の実現を目的とする行為は、たとえそれが原告等の承認があつたとしても、それは民法第九十条に規定する公序良俗に反する事項を目的とした法律行為であるから無効である。
(二) 仮りに前記主張が理由がないとしても、
原告等は被告等主張の如く、横浜地方裁判所に解雇処分取消並びに給料支払請求の訴を提起すると共に、行政処分の執行停止命令の申立をなしたところ、原告佐々木修二等の右申立に対しては昭和二十四年十月十八日、原告荒井一郎の右申立に対しては同年十二月五日、それぞれ内閣総理大臣吉田茂より「原告等の申立を認めて解雇処分の執行を停止することは、これらの他の同様な該当者との関連において、著しい不均衡を生ずる結果を惹起し、重大なる政治問題と化することはいうまでもなく………」との理由による行政事件訴訟特例法第十条第二項但書による異議が述べられたゝめ、執行停止命令を求める道は完全にとざされてしまつた。
しかして、右内閣総理大臣の異議は、当時占領国であつた米国が米国々防の一環としての再軍備の費用を捻出せしめるため、日本政府に対し中央及び地方の公務員の人員削減を命じた結果、日本政府が憲法に保障する地方自治の権利を無視し、不法な人員整理の強行を地方自治体に指令し、それにもとずく不法な人員整理に異議を申立てる原告等より異議の手段を奪い、不服申立の際の糧道をたつ手段として行われたものであり、しかも内閣総理大臣の異議を認めた行政事件訴訟特例法第十条第二項但書は司法権に対する行政権の侵害であり、憲法の許容しない違憲の規定で従つて法律としての効力を有しないものであり、結局占領国である米国と日本政府及び被告等の共謀によるものであると共にそれは占領国である米国の反労働者的な命令及びその権力を暗示する脅迫行為であり、そのため、原告等は前記申立により最低生活を維持しつゝ前記訴訟の判決による救済を待つの途をうばわれ、俸給生活者として被告等より受ける俸給のみをたよつて生活して来た原告等は、その生活にいちじるしい困窺をきたし、しかも前記訴訟の審理は遅々としてすゝまず早急な司法上の救済が得られる見込もなかつたゝめ、自己の生存に危険を感じ、やむなく自己の本心に反して和解の勧告に応ぜざるを得なかつたものである。従つて原告等が昭和二十五年四月七日被告等と本件和解契約を結んだのは、当時占領国であつた米国並びに日本政府及び被告等の共謀による強迫行為により生じた生命の危険に対する畏怖にもとずくものであるから、原告等の意思表示は強迫による意思表示である。
そこで原告等は昭和三十二年四月二十六日被告等に到達の書留内容証明郵便をもつて、被告等に対し本件和解契約の意思表示を取消す旨の通告をなしたから本件和解契約はその成立の時に遡及してその効力を失つたものである。
(三) 仮りに前記各主張が理由がないとしても、
原告等が被告等と本件和解契約を締結したのは、後記(四)記載の如く、原告等を含む被免職者を一定期間内に復職せしめるという被告等の約束を信じたからに外ならない。
しかしながら後記(四)記載の如く、その後の経緯よりみて被告等には真実右の約束を実施する意思はなく、ただ原告等を和解に応じさせるためこのような欺罔行為を行つたものであることが判明した。その事実は後記(四)の和解条項第三項の第一、二号の該当者に対する復職を被告等が進んで行つたことがない事実、原告等の如き同項第三号該当者に対しては全然復職せしめないで今日に至つている事実によつても明らかである。
よつて原告等は本件和解契約の意思表示は被告等の欺罔行為によりなされたものであるから本訴において(昭和三十二年十二月十二日の第二回準備手続期日)これを取消す。よつて本件和解契約がその成立の時に遡及してその効力を失つたものである。
(四) 仮りに前記各主張がいずれも理由がないとすれば、
本件和解には被告等の主張の条項の他に、
第三項
第一号として、
山田今次他四名を依願退職発令後履歴書の提出日より一週間以内に失業対策の臨時職員として採用し、そ
後三ケ月乃至六ケ月以内に本採用する。
第二号として、
堀七郎他四名に対し必ず就職を斡旋する。
その斡旋期間は大体一ケ月以内とする。
第三号として、
残余の者も個人的申出あらば就職を斡旋する。
との条項があつた。
右条項の趣旨は、直ちに原告等全員を復職せしめることは対政府関係もあつてできないので、逐次再採用することにより復職と同一の効果を有する処置をとることゝし、第一号に該当する者は即時に、第二号に該当する者は一ケ月遅れて復職せしめる。第三号に該当する者は第一、二号に該当する者が復職した後にこれらの者と同様に復職させることを原告等に約したものである。原告等はいずれも右第三号に該当する者であるところ、被告横浜市は故意にその条項の実現をおくらせ、第一号該当者が全て本採用となるのに四年余を要し、第二号該当者が本採用となるには早い者で五年遅い者で六年を要し、第三号該当者はそれに伴い遅延放置されたのみならず、第一、二号該当者の復職後もその履行を受けていない。
そこで原告等は直接又は横浜市従業員労働組合の委員長河村宏弥を代理人として再三にわたり被告等に対し、右第三号のすみやかなる実施履行を催告したが、被告等はその履行をなさない。よつて昭和三十二年四月二十日原告荒井一郎、同佐々木修二、同酒巻保輔の三名は本人並びにその他の原告等の代理人として原告等の復職を、同月二十四日までの期間を定めて催告したが被告等はこれに対し同月二十四日その履行を拒否する旨回答した。
よつて原告等は被告等の債務不履行を理由に民法第五百四十一条により本訴において(昭和三十二年十二月十二日の第二回準備手続期日)本件和解契約を解除する。よつて本件和解はその成立の時に遡及してその効力を失つたものである。と述べ、
(被告等の再抗弁に対する認否及び主張)
(一) 強迫による取消権は時効により消滅しているとの主張に対し被告等の主張を否認し、原告等は前記の如く、当時の占領国であつた米国並びに日本政府及び被告等の共謀による強迫行為により畏怖した結果その意に反してやむなく本件和解契約を締結したものであるが、その取消原因たる情況である強迫行為が止みたる時期は昭和二十七年四月二十八日の平和条約の発効の日である。そこで原告等はその後五年を経過しない以前である昭和三十二年四月二十六日到達の書留内容証明郵便をもつて、被告等に対し取消の意思表示をなしたものであると述べ、
(二) 詐欺による取消権は時効により消滅したとの主張に対し、
被告等の主張を否認し、本件和解契約は、被告等において、原告等を復職せしめる意思がないのにもかゝわらず、これある如く装い、原告等を欺罔して締結せしめたものであることを原告等が明らかに知つたのは原告等が昭和三十二年四月二十日被告等に対し原告等を復職せしめる義務の履行を催告したのに対し被告等よりこれを拒否する旨の回答を受けた同月二十四日である。
しかして取消権の時効の起算は、その取消事由を知つた時よりなすべきであるから、原告等の取消の意思表示は右昭和三十二年四月二十四日より起算し、五年を経過せざる以前になされていると述べ、
(三) 本件和解契約の解除は解除権の不可分性に反するとの主張に対し、
被告等の主張を否認し、民法第五百四十四条は権利の主体が多数であり、その権利の帰属が不可分である場合の多数当事者間における解除の不可分の原則を示したものであるが、本件和解契約は本質的には原告等を含む二十六名の個々の申立人と被告横浜市又は被告横浜市教育委員会との間の多数契約であり、その多数の契約が同時に締結されたものにすぎないから原告等を含む二十六名全員の権利が不可分の関係にあるものではない。従つて本件和解契約の解除は民法第五百四十四条に違反しないと述べた。
(立証として)<省略>
被告等訴訟代理人は、
(本案前の抗弁として)
原告等の訴を却下するとの判決を求め、その理由として、
(一) 本件訴は出訴期間を徒過して提起された不適法なものである。
原告等が本件訴において主張する趣旨は、被告横浜市は昭和二十四年八月二十六日原告佐々木修二等を、被告横浜市教育委員会は昭和二十四年八月三十日原告荒井一郎を各免職処分に付したが、その各免職処分は無効であるから確認を求めるというにある。
しかしながら原告等が本件訴を提起したのは昭和三十二年九月五日であつて、原告等が本件免職処分を受けたと主張する日時から起算して一年以上を経過して提起されたものであるから不適法として却下さるべきである。
(二) 仮りに右主張が理由がないとしても、被告横浜市は被告適格を有しない。
抗告訴訟における被告は処分行政庁である。しかして処分行政庁とは国又は公共団体の機関であつて、具体的法令にもとずき処分権限を有するものを指称するのである。
本件訴において、原告は横浜市を被告として訴を提起しているが、市の機関である横浜市長を被告として提起すべきである。従つてこの点を看過して提起された原告等の訴は不適法な訴として却下さるべきである。
と述べ、
(請求の趣旨に対する答弁として)
原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、
(請求原因に対する答弁として)
一、原告等の請求原因第一項の事実中被告等が原告等を免職処分に付したとの事実は否認し、その余の事実は認める。
二、原告等の請求原因第二項中の
(一)の事実中「横浜市職員分限規則」又はそれを準用した「横浜市教育委員会職員分限規則」に原告等主張の様な規定がある事実、並びに当時施行中の地方自治法第十五条、第百七十二条に原告等の主張する規定があつたこと。当時地方公務員法は未制定であり、地方自治法附則第九条に原告等主張の様な規定があり、右附則にもとずく政令も存在しなかつたことは認めるが、その余は否認する。
そもそも規則の制定権は普通地方公共団体の長にあることは地方自治法第十五条に規定するところであり、しかもその制定にあたつては条例の制定と異なり別段市議会の議決を要しないものである。故に右規則も横浜市長がその権限にもとずいて適法に制定したものであり、右規則の有効であることは勿論これにもとずいてなされた本件免職処分も又有効である。
(二)の事実中、被告等にはそれぞれ原告等主張の如き定員に関する条例があり、それらの内に原告等主張の如き規定があることは認めるが、その余は否認する。そもそも職員の定員は、職員の数の最高限度を定めたものであつて、常にその定数まで職員を任用在職せしめなければならぬものではないから、本件免職処分の効力が定員に関する条例の存在によつて妨げられる理由はない。
(三)の事実中被告等が原告等主張の規則制定にあたり、労働組合の意見を聴かず、又これらの規則を担当行政官庁である横浜労働基準局に届出なかつたことは認める。
しかしながら当時の横浜市従業員労働組合は団体交渉権を有せず従つて、その意見を聴く必要はなかつた。又労働基準局に届出なくともそのためにこれらの規則の効力が左右されるものではない。
(四)の事実は否認する。
当時原告等は被告等の提供した解雇予告手当の受領を拒否したものであるが、後日にいたり之を受領している。尚仮りに之が提供、給付がなかつたとしても、そのために本件免職処分の効力が左右されるものではない。
(五)の事実中の原告等の組合歴はいずれも認めるが、その余は否認する。
(六)の事実は否認する。
(抗弁として)
一、原告佐々木修二等が被告横浜市の、原告荒井一郎が被告横浜市教育委員会の職員たるの身分を失つたのはいずれも本件免職処分によるものではなく依願退職の結果である。
従つて本件免職処分による退職を前提として、その無効を主張し、かつ現在なおその職員としての身分を有することを主張する原告等の本件請求はいずれも失当である。即ち
原告佐々木修二等を含む被免職者二十九名はその免職処分を不服として、昭和二十四年九月十三日訴外山田今次外二名を選定当事者とし、横浜市長を被告とし、横浜地方裁判所に解雇処分取消並びに給料支払請求の訴を提起し、(同庁昭和二十四年(行)第一九号事件)更に原告等を含む被免職者二十六名は同様その免職処分を不服として横浜市長及び被告横浜市教育委員会を被申立人として神奈川県地方労働委員会に対し「不当労働行為被疑事件」の申立をなした。(同庁昭和二十四年(不)第八号事件)そこで同委員会は之が審査にあたつたが、昭和二十五年四月七日和解により解決をはかるを適当と認め、一、昭和二十四年八月二十六日付で依願退職とする。二、申立人(原告等を含む二十六名)は一切の係争を取下げる。との二条項を示して和解を勧告し、その結果、右二条項を骨子とする和解契約(以下本件和解契約と略称する)が成立した。
よつて、横浜市長及び被告横浜市教育委員会は本件和解契約にもとずき本件免職処分を取消したので、ここに本件免職処分の効力は消滅した。そこで改めて原告佐々木修二等はいずれも昭和二十四年八月二十六日付で、原告荒井一郎は昭和二十四年八月三十日付で、それぞれ依願退職願を提出したので横浜市長及び被告横浜市教育委員会はそれぞれ右日付をもつて、原告等に対し「願いにより職務を免ずる」旨の退職辞令を手交し、之によつて原告等はその職を退いたものであつて、現在原告等が職員たる地位にないことは本件免職処分によるものではない。
従つて、本件免職処分の無効確認を求める原告等の請求は理由がない。
二、仮りに右主張が理由がないとしても
本件免職処分は、前記の如く、それぞれ処分行政機関である横浜市長、並びに被告横浜市教育委員会において、既に之を取消しており、存在しないものであるから今更無効確認を求める原告等の本訴請求は失当である。
三、仮りに前記各主張がいずれも理由がなく、原告等主張の本件免職処分は無効であり、従つて原告等はその後も被告等の職員たる身分を保有していたものであるとしても、
原告等は前記の如くその後にいたり、新らたに依願退職の結果職員たる身分を失つているものであるから、それ以降は本件免職処分の有効、無効に関係なく、職員たる身分を有しないものである。
従つて、仮りに本訴の結果免職処分の無効が確認されたとしても、之によつては原告が本訴において求めているような身分保有の効果は生じないから原告等の本件請求は訴の利益がない。と述べ、
(原告等の再抗弁に対する認否並びに再々抗弁として)
一、原告等の本件和解契約が民法第九十条により無効であるとの主張に対して、否認すると述べ、
二、原告等の本件和解契約は強迫によるものであるから取消した旨の主張に対して、
(認否として)
原告等がその主張の如き訴の提起と共に、行政処分執行停止の申立をなしたところ、原告等主張の各日に内閣総理大臣吉田茂から原告等主張の如き理由にもとずく行政事件訴訟特例法第十条第二項但書にもとずく異議が述べられたこと、現実には右処分の執行が停止されなかつたことは認めるが、その余は否認する。
原告等主張のような内閣総理大臣の異議が述べられたために原告等の生活が苦境におちいつたとしても、これは行政事件訴訟特例法が許容した適法な行為の結果であつて、これを目して不正の害悪の通知を要件とする強迫と同一視することは許されない。殊に同法第十条第二項本文には「申立に因り、又は職権で決定を以つて処分の執行を停止することができる」と規定し、内閣総理大臣の異議がない場合においても裁判所はすべての事情を考慮の上、なお且つ行政処分執行停止の申立を許容しないことができる。若しかかる内閣総理大臣の異議が処分の執行停止を妨げるものであり、ひいては被処分者を苦境に陥らしめるものであつて、かかる異議権の発動が常に強迫行為であるとすれば、かかる法律の存在そのものを非難すべきであつて、現に有効に存在する法律の範囲内において行う適法な行為を目して強迫であるとなすは、正に法の否定にも等しいものであると述べ、
(取消に対する抗弁として)
仮りに原告等の主張の様に、本件和解契約における原告等の意思表示が強迫にもとずくものであるとしても、原告等の取消権は既に時効により消滅しているものである。即ち
取消権は追認を為することを得る時より五年間、之を行使せざるときは、時効により消滅するものであり、追認は取消の原因たる情況の止みたる後にこれをなし得るものであることは民法上明らかである。
しかして原告等の主張する取消原因たる強迫とは内閣総理大臣の異議により本件免職処分の執行停止の途がたたれたことにあるところ、かかる執行停止阻止の事態は本件和解契約の成立した時をもつて止みたるものである。
そうすると本件和解契約が成立したのは昭和二十五年四月七日であるから、その日より起算して五年間を経過した昭和三十年四月七日を以て取消権は消滅したものであり、従つてその後において本件和解契約における原告等の意思表示を取消すことは許されないと述べ、
三、原告等の本件和解契約は詐欺によるものであるから取消する旨の主張に対して、
(認否として)
原告等の主張事実は全て否認すると述べ、
(取消に対する抗弁として)
仮りに原告等の意思表示が被告等の詐欺行為にもとずきなされたものであるとしても原告等の取消権は既に時効により消滅しているものである。即ち
取消権は前記の如く、追認をなすことを得る時より五年間之を行使せざるときは時効により消滅するものであり、追認は取消の原因たる情況の止みたる後にこれをなし得るものであるところ、取消の原因たる詐欺は本件和解契約成立の時に止みたるものである。
そうすると本件和解契約が成立したのは前記の如く昭和二十五年四月七日であるからその日より起算して五年間を経過した昭和三十年四月七日を以つて原告等の取消権は時効により消滅したものである。
従つて本件和解契約における原告等の意思表示を取消すことは許されないと述べ、
四、本件和解契約を解除する旨の主張に対し、
(認否として)
本件和解契約には原告等主張の条項があることのみは認めるがその余は否認する。被告等は原告等より就職について、これまでに、個人的にその斡旋方を申込まれたことはないので、何らの債務不履行はないと述べ、
(解除に対する抗弁として)
(一) 仮りに被告等に本件和解契約により生じた債務の不履行があつたとしても、本件和解契約は原告等のみでは解除することはできない。即ち
およそ当事者の一方又は双方が数人ある場合においては、その契約の解除はその全員より、その全員に対してなされなければならないことは民法の規定するところである。しかるに本件和解契約の一方当事者は原告等を含む申立人二十六名からなり、原告等のみよりなるものではない。従つて前記二十六名の一部にすぎない原告等の意思によつて本件和解契約を解除することはできない。
(二) 仮りに契約の解除が有効であるとしても解除の効力は相手方を原状に復せしめる義務を負うに止まり、原告等主張のように本件和解契約の失効をきたすものではないと述べた。
(立証として)<省略>
理由
(本案前の判断)
被告等は本件訴訟はいわゆる抗告訴訟にあたるところ、
(一) 原告等は行政事件訴訟特例法第五条に規定する出訴期間の経過後に本訴を提起したものであるから不適法な訴として却下さるべきである。
(二) 仮りに右主張が理由がないとするも、被告横浜市は被告適格を有しないから原告等の訴は不適法として却下さるべきである。
と主張する。よつて按ずるに、
原告等の本件訴は昭和二十四年八月二十六日被告横浜市が原告佐々木修二等に対してなした免職処分、及び同月三十日被告横浜市教育委員会がなした原告荒井一郎に対する免職処分の各無効であることを前提として、原告等が被告等の職員としての地位を有することの確認を求めているものであることはその主張自体より明らかである。
しかりとすれば本件訴は相対立する当事者間の公法上の権利関係の存否に関する訴訟としていわゆる当事者訴訟に該当するものであつて行政処分によつて自己の権利を侵害されたとする者がその行政処分の違法を主張し、その取消又は変更を求める抗告訴訟にあたるものではない。従つて、
(一) 特に抗告訴訟の出訴期間を定めた行政事件訴訟特例法第五条の規定は本件訴の如き当事者訴訟には適用なく又本件訴の如き当事者訴訟につき特に出訴期間を定めた法規は存在しない。
(二) 更に当事者訴訟においては訴訟の目的物たる権利又は法律関係の主体たるものが当事者適格を有すべきであるから、本件訴の場合においても被告横浜市が被告適格を有するものである。
よつて被告等の本案前の抗弁はいずれも理由がない。
しかし、職権を以つて原告荒井一郎の被告横浜市教育委員会に対する本件訴の適否について判断するに、同被告は横浜市の執行機関として行政庁にあたり、本件訴の訴訟物たる公法上の権利又は法律関係の主体ではないから、被告適格を有しないというべきである。従つて原告荒井一郎の同被告に対する本件訴は不適法として却下さるべきである。
(本案の判断)
原告佐々木修二等はいずれも被告横浜市の職員として勤務していたものであること。
原告荒井一郎は被告横浜市教育委員会の職員として勤務していたものであることは当事者間に争いがない。
そして成立に争いのない甲第一、二号証、同第七号証、原告荒井一郎の本人尋問の結果その成立が認められる甲第三十九号証の二並びに証人川上小次郎(第一、二回)同河村宏弥(第一回)の各証言、及び原告荒井一郎(第一回)同佐々木修二、同酒巻保輔の各本人尋問の結果を綜合すれば、原告佐々木修二等が昭和二十四年八月二十六日付で横浜市長より横浜市職員分限規則第四条第一項第六号(事務事業の都合により必要であるとき)により、原告荒井一郎が昭和二十四年八月三十日付で被告横浜市教育委員会より横浜市教育委員会職員分限規則第四条第一項第六号(事務事業の都合により必要であるとき)により、それぞれの職を免ずる旨の免職処分を受けた事実が認められる。
次に原告等を含む被免職者二十九名がその免職処分を不服とし、昭和二十四年九月十三日訴外山田今次外二名を選定当事者として横浜市長を被告とし、横浜地方裁判所に解雇処分取消並びに給料支払請求の訴(同庁昭和二十四年(行)第一九号事件)を提起する一方、原告等を含む被免職者二十六名が同様その免職処分を不服として横浜市長及び被告横浜市教育委員会を被申立人として神奈川県地方労働委員会に対し「不当労働行為被疑事件」の申立(昭和二十四年(不)第八号事件)をなしたこと。同委員会が和解による解決を適当と認め、一、昭和二十四年八月二十六日付で依願退職とする。二、申立人は一切の係争を取下げることの二条項を示して和解を勧告した結果、昭和二十四年四月七日当事者間に右二条項を骨子とする本件和解契約が成立したこと。横浜市長及び被告横浜市教育委員会が本件免職処分を取消し、原告等を依願退職処分に付したこと。原告佐々木修二等は昭和二十四年八月二十六日付で、原告荒井一郎は昭和二十四年八月三十日付で、それぞれ依願退職願を提出し、それぞれ前記日付の退職辞令の交付を受けたことは当事者間に争いがない。
そして成立に争いのない乙第二号証によれば、前記和解契約の内容をなす和解条項は、別紙覚書記載のとおりであることが認められる。
原告等は被告等主張の八月二十六日付で全員依願退職する旨の和解条項は、本件免職処分を取消して依願退職処分に改める旨の合意であるから、本件和解契約の成立によつて、本件免職処分の取消、依願退職の申出及び依願退職処分がなされたものであつて、本件和解契約とは別に本件免職処分取消の意思表示がなされたものではない。原告等が本件和解契約成立と同時に退職願を提出したのは和解条項にいう依願退職の形式を整えるためであつて、和解条項と離れた独自の意義を有するものではないと主張する。
しかし被告等主張の和解条項が本件免職処分を取消して依願退職に改める旨の合意であると解すべきことは原告等主張のとおりであるが、叙上認定したところにより明らかな如く、原告等を含む被免職者二十六名の申立にかかる不当労働行為被疑事件において本件免職処分の効力につき右当事者間に争いがあつたため、神奈川県地方労働委員会の勧告により、当事者双方互に譲歩して争いを止めるため被告等主張の和解条項を骨子とする本件和解契約が成立したものであること及び本件和解契約にはその外に依願退職に伴う特別手当支給の和解条項、山田今次外四名の採用に関する和解条項があり、これらの和解条項は本件和解契約とは別に原告等より依願退職願の提出があること、横浜市長及び被告横浜市教育委員会より依願退職の発令があることがそれぞれ予定されていることを考慮し、更に公務員の依願退職処分は通常文書によつてすなわち、当該公務員より辞職の意思の表明である退職願を徴し、これにもとずいて、退職の辞令を交付する方法によつて行われていること、また和解は対等の地位にある当事者間の意思の合致たる契約の性質を有するに反し、公務員の免職処分の取消及び公務員の依願退職処分はいずれも優越的意思の発動としての公権力の行使たる行政行為であつて、両者互に行為の本質的性格を異にしていることを思い合わせると、本件和解契約により、横浜市長及び被告横浜市教育委員会は職権で本件免職処分を取消して原告等を依願退職処分にすることを、原告等は依願退職処分に同意して、依願退職願を提出することを相互に約束したものであつて、本件和解契約はそれ自体決して本件免職処分の取消、依願退職の申出及び依願退職処分なる三個の意思表示を内容とし、構成要素とするものではないと解するを相当とする。従つて、原告等は本件和解契約を履行するため、依願退職願を提出することによつて依願退職の意思を表示し、これにもとずいて依願退職の辞令が交付されたとき始めて原告等に対する依願退職処分が有効になされ、これによつて同時に本件免職処分を取消す黙示の意思表示がなされたものと認めるのを相当とする。なお、行政行為の取消はその成立に瑕疵がある場合に許されるが、この場合に限らず、本件の場合の如く瑕疵の存否について当事者間に争いがあるため、その争いを止めるため互に譲歩して和解が締結され、譲歩の方法として行政行為の取消がなされることもまた許されるものと解すべきである。
ところで、原告等は本件和解契約は次のような瑕疵又は事由により無効又はその効力を失つたものであり、そのため本件免職処分の取消も、原告等の依願退職の申出も、被告等の依願退職処分もいずれも無効又はその効力を失い、その結果本件免職処分は依然として有効であるか又は効力を復活して存続していたことになると主張し、被告等は抗争するので順次判断することとする。
(一) まず原告等は本件和解契約は公序良俗に反する事項を目的とする法律行為であるから民法第九十条により無効であると主張する。よつて判断するに
原告等の主張の要旨は、被告等は憲法違反の本件免職処分の効果の維持存続を目的として原告等と本件和解契約をなしたものであるというにある。
しかし本件和解契約は申立人(原告等を含む)被免職者二十六名と被申立人横浜市長及び被告横浜市教育委員会との間の不当労働行為被疑事件において、本件免職処分の効力につき右当事者間に争いがあつたため、神奈川県地方労働委員会の勧告により当事者双方互に譲歩して争いを止めるため締結されたものであること、そこで本件和解契約にもとずき本件免職処分が職権により取消され、原告等に対し依願免職処分がなされたこと、本件和解契約には依願退職処分が予定されていた原告等を含む二十六名の申立人の内山田今次外四名の被告横浜市職員への再採用堀七郎外四名の就職斡旋及び原告等を含むその他の個人的に申出あることを条件とする就職斡旋が約定されていたことは既に説示したところより明らかであり、更に成立に争いのない乙第一、二号証、原告酒巻保輔本人尋問の結果その成立が認められる甲第四十号証の一、二同第四十五号証、証人河村宏弥の証言(第二回)によりその成立が認められる甲第四十一号証と証人河村宏弥の証言(第一、二回)並びに原告佐々木修二、同荒井一郎(第一、二回)同酒巻保輔の各本人尋問の結果を綜合すれば本件和解契約後前記山田今次他四名は昭和二十五年四月九日より同月十八日迄の間に逐次臨時職員として採用され(但し山田今次は横浜市従業員労働組合書記として勤務していたため除かれた)さらに本件和解契約において約定された時期より遅れたとはいえ昭和二十五年十一月一日より昭和二十八年十二月一日迄の間にそれぞれ本採用となり、前記堀七郎他四名はまた本件和解契約において約定された時期より遅れたとはいえ、昭和二十五年五月十三日より同年七月十二日迄の間に逐次臨時職員に採用され、昭和二十八年一月十三日死亡した堀七郎、その後退職した佐藤正太郎を除く三名の者は昭和二十九年八月二十一日より昭和三十年九月八日迄の間にそれぞれ本採用となつたものであることがいずれも認められる。もつとも原告等を含むその他の被免職者に対しては本件和解契約による就職斡旋が行われなかつたが、それは和解条項にいう「個人的に申出」がなかつたためであることは後記に説明するとおりである。
そうすると本件和解契約は形式的にも実質的にも本件免職処分の効果の維持存続を目的としてなされたものであるとは認められない。
従つて本件和解契約は民法第九十条により無効であるとの原告等の右主張は理由がないので、右主張を前提とするその余の原告等の主張も又理由がなく採用することができない。
(二) 次に原告等は本件和解契約は当時占領国であつた米国及び日本政府並びに被告等の共謀による強迫によつて締結されたものであるから昭和三十二年四月二十六日取消した旨主張する。よつて判断するに、
原告等の本主張は、内閣総理大臣の異議が米国及び日本政府並びに被告等の共謀による強迫行為であることを前提とする。
しかし原告等を含む被免職者二十九名が前述の如き解雇処分取消並びに給料支払請求の訴を提起した際、それと共に行政処分の執行停止命令を求める申立をなしたこと、並びに原告佐々木修二等の右申立に対しては昭和二十四年十月十八日に、原告荒井一郎の右同趣旨の申立に対しては同年十二月五日それぞれ内閣総理大臣吉田茂より原告等主張の如き理由にもとずく行政事件訴訟特例法第十条第二項但書による異議が述べられ、その結果右処分の執行が停止されなかつたことは当事者間に争いがないが、成立に争いのない甲第十五号証の一、甲第十六号証(いずれも内閣総理大臣吉田茂名義の行政事件訴訟特例法第十条に基く異議と題する書面)の記載自体からも又その他原告等の援用提出にかかる全証拠によるも、右内閣総理大臣の異議が原告主張の如き米国及び日本政府、並びに被告等の共謀による原告等に対する強迫行為であるとは認めることができないのみならず内閣総理大臣の右異議が原告等主張の如き事由で法律上当然に原告等に対する強迫行為を構成すると解することもできない。
従つて、その余の点を判断するまでもなく原告等の本主張も又理由がない。
(三) 更に原告等は本件和解契約はその主張の事由により被告等の詐欺により締結されたものであるから本訴においてこれを取消す旨主張するが、本件和解契約が被告等の詐欺によるものであることは原告等の提出援用にかかる全証拠によるもこれを認めることができない。
従つて、その余の点を判断するまでもなく、原告等の本主張も又理由がない。
(四) 更に又原告等は被告等は本件和解契約により原告等を復職せしめる義務を負担しているのにもかかわかず約旨に反して原告等を復職せしめないので、原告等は被告等の債務不履行を理由に本訴において本件和解契約を解除する旨主張する。
しかし、本件和解契約には第三項として原告等主張の如き被免職者の就職に関する条項があることは当事者間に争いがないが、右条項によつては横浜市長及び被告横浜市教育委員会が無条件に原告等を復職せしめることを約したものとは認められない。原告等の就職に関する和解条項には「残余の者も個人的に申出であらば就職を斡旋する」とあり、成立に争いのない甲第三号証、証人河村宏弥の証言(第二回)によりその成立が認め得る甲第四十一号証、証人川上小次郎(第一回)同河村宏弥(第二回)の各証言を綜合考察すれば、右和解条項は原告等が従業員組合又は組合幹部の仲介斡旋によらず、又これらのものを代理人とせず、更に又団体行動によらないで個人的、個別的に就職の申出をすることを条件として、できるだけ横浜市役所又は同市関係の職場に就職せしめることを横浜市長及び被告横浜市教育委員会において確約したものと解するを相当とする。
しかるに成立に争いのない甲第十号証乃至第十三号証、原告荒井一郎本人尋問の結果により各成立を認め得る甲第四十二号証の一、二第四十三号証成立に争いのない甲第四十四号証、証人川上小次郎の証言(第一回)原告酒巻保輔本人尋問の結果を綜合すると原告等は横浜市従業員労働組合又はその執行機関を介し、或いは団体行動により又は横浜市役所復職期成同盟を結成して横浜市長に対したびたび復職を要求したことはあるが、原告等が個人的、個別的に横浜市長又は被告等に就職の斡旋を申出たことのないことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。従つて横浜市長は勿論被告等にも債務不履行の責任はない。
従つて、原告等の本主張もその余の点を判断するまでもなく理由がない。
よつて、本件和解契約が詐欺強迫により取消され又は債務不履行により解除されたことを前提とし、本件免職処分の取消、原告等の依願退職の申出及びこれにもとずく依願退職処分はいずれも効力を失い、その結果本件免職処分が効力を復活し存続していたことになるとの原告等の主張はその前提において既に採用できないのである。仮りに百歩を譲つて本件和解契約が原告等主張の理由で失効したと仮定しても、既に説示した如く本件免職処分の取消、依願退職の申出、及び依願退職処分は本件和解契約とは別個独立に効力を生じたものであるのみならず、本件免職処分の取消及び依願退職処分はそれぞれ行政行為としていわゆる公定力を有し、権限ある行政庁により又は争訟手続において取消されるまでは行政庁は勿論相手方たる原告等もこれに拘束され、その効力を尊重すべきことを要求されるのであるから、たとえ本件免職処分の取消、依願退職の申出及び依願退職処分が本件和解契約の履行として行われたという履行上の牽連関係が認められるとしても、既に行われた本件免職処分の取消依願退職の申出及び依願退職処分の効力は本件和解契約の失効により妨げられないというべきは勿論原告等はその主張するが如き詐欺強迫の瑕疵又は債務不履行を理由として依願退職の意思表示を取消し、又は撤回することもできないというべきである。そうすると本件免職処分は本件和解契約にもとずき有効に取消され、また本件和解契約にもとずき提出された原告佐々木修二等の昭和二十四年八月二十六日付、原告荒井一郎の同月三十日付依願退職願に対し、それぞれ同日付でなされた依願免職処分により原告佐々木修二等は被告横浜市の、原告荒井一郎は被告横浜市教育委員会の各職員としての身分を失つたものというべきであり、従つて本件和解契約の無効又は効力の消滅を前提とし、本件免職処分の無効又は効力の消滅を主張し、職員たる身分の確認を求める原告等の本件請求はその余の点を判断するまでもなく理由がなくこれを棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項本文に従い主文の通り判決する。
(裁判官 久利馨 石田実 篠原昭雄)
(別紙)
覚書
一、近く地方公務員法の制定を見る模様であるので市としては職員分限規則第四条第一項第六号の適用は止むを得ざる場合を除き之を行わないことを市従委員長に確約する。
二、八月二十六日附で全員依願退職とすること。
これに伴う特別手当本俸三ケ月分は全員退職願提出後二週間以内に支給する。
三、(1)左の五名は次の条件で就職させる。
氏名
給与
場所
身分
時期
山田今次
八、八〇〇
民生局職業課
失業対策事業の臨時職員
依願退職発令後履歴書の提出日より一週間以内
久保田基
九、二〇〇
〃
〃
〃
深野忠好
八、九〇〇
〃
〃
〃
鈴木今朝春
九、一〇〇
〃
〃
〃
臼居孝弐
九、一〇〇
〃
〃
〃
但し一定期間を経過し、其の間に特に過失のなかつた場合は所定の手続を経て本採用とする。
(右の一定期間とは六ケ月とするも成績の良い場合は三ケ月とする。)
(2)次の五名の者はかならず就職を斡旋する。
氏名
堀七郎
石井徹
平田広秋
小林三法
佐野正太郎
其の斡旋の期間は大体一ケ月以内とする。
(3)残余の者も個人的に申出であらば、就職を斡旋する。
四、五十万円は市従よりの関係書類提出の上は職員の福利厚生資金として交付する。
支給期日は関係書類提出後二週間以内とする。
五、市従が申立人に支出した救援資金については市従と別途協議する。
六、一切の繋争を直ちに取り下げる。
(当事者の表示省略)